きっとこれが最後のブータン | ワシントン通信 3.0~地方公務員から転身した国際公務員のblog

きっとこれが最後のブータン

 もう2ヶ月も前になりますが、9月末から10月初めにかけてブータンに行って来ました。今年4月の人事異動で南アジアの担当から東欧・中央アジアの担当に変わったので、プロジェクトの引き継ぎも兼ねてのブータン出張でした。きっと、これが最後のブータン出張になるでしょう。僕が初めてブータンを訪れたのは、2003年3月でした。あれ以来、毎年2~3回は訪れていたので、おそらく合計20回くらいはあの国に行ったんじゃないでしょうか。この間、新憲法制定民主化王位継承分権化近代化都市化と、ブータン激動の時代の国づくりのお手伝いに多少なりとも関われたことは、非常に幸運なことでした。僕が今まで担当した国の中でも、ブータンはスリランカと伴に忘れられない国になりました。

 振り返ってみると、最初にこの国を訪れた2003年当時に比べて、ブータンは大変化を遂げています。特に首都ティンプーの変わりようは、物凄いです。いくつか例を挙げてみると、まず車の数が激増しました。2003年当時はティンプーでも車は本当に少なかったし、タクシーなんて見つけるのに一苦労したものです。それが今は、ティンプーで車の渋滞だって体験できます。でも、依然として信号機はありませんが。



 次に、ティンプー中心部の景観もかなり様変わりしました。昔ながらの平屋建ての商店(↑)は数えるほどに減り、4~5階建てのビルがほとんどになったのです(ティンプーは最高5階建てまでという建築制限があります)。その結果、増えたのがエレベーターです。2003年当時、この国にはエレベーターが一台しかありませんでした(ティンプーの病院に一台あっただけです)。今は、首都のビルの多くにエレベーターが設置されています。建物の外観も、カラフルなものが増えたような気がします(↓)


 それと、もうひとつ増え続けているのが新聞の種類です。2003年当時には、週一回発行の国営クエンセルが一紙あるだけでした。それが今は、日刊紙やビジネス紙など、もう数えられないほどの新聞があるのです。民主化の前後から、この国に来るたびに一紙、また一紙と新しい新聞が増えているという感じです。今回も、「Bhutan Youth」という若者を対象にした新しい新聞を発見しました。

 増えたものがあれば、減ったものもあります。ひとつは、ティンプーの街の野良犬の数。2003年当時は、野良犬の吠える声で眠れない夜が何度もあったものです。もう、そんなことはなくなりました。昔のブータンを知らない人は「今でも野良犬が多すぎる」と言いますが、あの頃に比べたら、これでも本当に激減したんですよ。

 減ったものをもうひとつ。ティンプーでは、ゴやキラなどの民族衣装を着ている人が少なくなりました。当然ながら学校や職場など公の場では、ブータン人は今でもゴやキラを着てますよ。でも、平日に学校や勤務を終えてから首都の中心部に繰り出す若者や、特に週末に街を行く若者は洋服を着ている人が大分増えましたね。2003年当時は、週末でもゴやキラを着ている人がほとんどだったという記憶があります。時代は確実に流れているのです。


 ということで、GNH などユニークな国づくりを進めるこの国のゆくえに、これからも注目し続けたいと思っています。今回パロ空港から旅立つ時は、これで最後かと思うと少し感傷的になってしまいました。「この国の未来に幸あれ」と僕が言わなくても、この国は幸福で満ち溢れ続けることでしょう。だってブータンだもの。ブータンのゾンカ語にはGood-byeに相当する言葉がないそうだから、サヨナラは言わないで、タシ・デレ!今度はいつか、仕事ではなく休暇で訪れたいです。