ワシントン通信 3.0~地方公務員から転身した国際公務員のblog -150ページ目

ひ素ひ素ばなし

 バングラデシュでは、日本のNGOも多く活動しています。そのうちのひとつに、「アジア砒素ネットワーク(AAN)」があります。数日前に、AANの川原さんとダッカで久しぶりにお会いし、情報交換をすることができました。

 バングラデシュでは、人口の9割以上がその飲料水を地下水に頼っています。その地下水が、地層から自然に抽出した砒素成分に深刻なほど汚染されているということが、90年代の半ばになって明らかになりました。この汚染は、インドの東部やバングラデシュ南西部など広範囲に広がっていて、バングラ国内では、2千万人~7千万人が「砒素入り水」を飲んでいると言われています。実際に病人や死者がかなり出ています。

 以前僕は、この砒素汚染対策のプロジェクトも担当していました。この砒素問題は、はっきり言って緊急事態なのですが、残念ながら対策は未だに進行していないようです。その一番の原因は、代替水源がないということです。川や池などの表流水は、バングラデシュの国中で、生活雑排水や産業排水の垂れ流しにより、砒素よりも危険なほどに汚染されています。雨季には洪水を引き起こす雨水も、一年を通して使用可能とはいきません。いろいろな企業や研究機関などが、簡易砒素除去装置の開発を競っていますが、砒素除去率の安定度、維持管理の容易さ、低いコストなどの条件を満たすものは、今のところ開発されていない状況です。それでは、どうすればいいのでしょうか?

 僕はオーストラリアにヒントを見つけたような気がします。ブリスベンもそうですが、オーストラリアのいろいろな都市では、雨水の利用と下水処理水の再利用がさかんです。トイレを流したり、庭の草木に水をやったり、車を洗ったりするのに、雨水や下水処理水を使っているのです。これは、砒素とは全く関係ありませんが、貴重な水源を守り、その周りの生態系を保護すると同時に、ダムや給水パイプの建設や浄水にかかるコスト削減を狙ったものです。

 どうしてこれが、バングラの砒素対策に応用できるのかというと、水の用途に応じて、水道、雨水、下水処理水を使い分けているからです。砒素の入った水は、飲用や料理には使えませんが、洗濯や水浴びには使えます。こう考えると、バングラでも、飲用や料理には雨水や表流水の処理水、それ以外には汚染された地下水、などといった水の用途に応じた組み合わせを(場合によっては季節ごとに)、模索しなければならないと思うからです。この組み合わせは、利用可能な水源によって、村々で、あるいは町々で違ったものになるでしょう。だから、実際に砒素で苦しんでいる村に入っていって、そこの住民と共に解決策を探る以外にはないのです。「アジア砒素ネットワーク」のような、フットワークの軽いNGOの出番なのです。

行政、NGO、住民

 最近、日本でもNGOが注目を集めているようですが、バングラデシュで僕が担当している「自治体サービス改善プロジェクト」でも、NGOが活躍しています。バングラデシュの地元のNGOが、スラム街の住民を組織化したり、住民の意向をまとめたりと、媒介としての貴重な役割を果たしてくれています。今回も訪れたディナジプルという街では、こうしたNGOのおかげで、あるイニシャチブが始まりました。

 まず、NGOの手助けにより、コミュニティを形成している60くらいの家族が集まって、町内会組織を立ち上げました。さらに、各家庭が毎週10タカ(20円くらい)をその町内会組織の口座に寄付し、町内会活動の予算とします。この予算の中から少しずつお金を出して、人を雇ったり、機材を買ったりして、自分達で町内の環境改善をやろうという試みです。とりあえず、町内のゴミ集めから始めました。このイニシャチブのおかげで、このコミュニティだけは、周辺地域と比べても、とてもきれいでした。

 バングラデシュのような途上国では、地方自治体の住民サービスが、街の隅々まで行き渡るということは、まずありえません。それだったら、自分達でゴミを集めちゃえ、という訳です。町内のゴミは自分達で集め(一次収集)、それを埋立地まで運ぶ(二次収集)のは、今度は市役所の役目です。このように、NGOの仲介が、住民と市役所のパートナーシップを可能にさせているのです。この町内会を代表して、いろいろな活動をリードしているのは、みんな若い女性達でした。ちなみに、世銀はこのNGOと市役所に対して、技術的、金銭的支援を行っています。

 このディナジプルでのイニシャチブは、「自治体サービス改善プロジェクト」の全体の活動から見ると、本当に小さな小さな一部にすぎません。しかし、今回の中間審査で一番印象に残ったのは、この活動でした。このような活動を、他の街でも広げていけたらと思っています。

バングラデシュの人々

魚を与えるより、魚の釣り方を教えなさい

 今回バングラデシュに来たのは、世銀が融資している「Municipal Services Project(自治体サービス改善プロジェクト)」の中間審査のためです。世銀では、融資プロジェクトがスタートすると、平均して年に2回くらいの頻度で担当チームをそのプロジェクトの実施国に派遣し、プロジェクトの進行状況を集中的に調査します。プロジェクトが何らかの問題に瀕している場合は、この調査ミッションの間に、プロジェクトを実施している途上国側と協同で、軌道修正や問題解決を図ります。さらに、プロジェクトが実施期間の中間点にさしかかると、今回のように一層詳細な中間審査を行うのです。

ダッカのスラム 開発援助の世界では、「魚を与えるより、魚の釣り方を教えなさい」という言葉がよく使われます。「飢えている人に魚を与えても、1日しか生き延びられないが、魚の釣り方を教えれば、その人が毎日自分で魚を釣って、飢えをしのぐことができる」という意味です。しかし、実際の援助案件はそんなに単純ではありません。そもそも、その人に魚を食べる習慣があるのか、釣竿や船はどこから調達するのか、魚の棲んでいる海は汚れていないのか、魚だけで栄養は片寄らないのか、などといった様々な問題を同時に検討しなければならないからです。

 しかし、様々な問題に配慮しようとするため、世銀の援助案件はともすればとても複雑にならざるをえず、時として、途上国側の実施能力を超えてしまうことがあります。紙の上ではどんなにいいプロジェクトでも、その通りに実施されなければ、絵に書いた餅です。持続可能性に配慮しながら、複雑さを回避し、しかも実施側の能力の向上に寄与するようなプロジェクトを形成するのは、とても難しいことだといつも思っています。現場をよく知ることが重要な所以でもあります。

 僕が担当しているこの「自治体サービス改善プロジェクト」は、バングラデシュ西部の16の自治体が対象ですが、ごみの収集や処理、安全な飲料水の供給、雨水排水、都市交通などといった住民サービスの改善を目指したものです。このようなサービスの安定供給には、自治体の財政基盤や行政能力の向上が不可欠です。そのためインフラ整備と同時に、「魚の釣り方」ならぬ、「税金の集め方」や「インフラの維持管理の仕方」、「住民説明会の開き方」などなど、様々な支援を16の市役所に行っています。やはり結構複雑なプロジェクトですが、中間審査の結果はまあまあでした。プロジェクトの進捗状況は当初の予定より少し遅れていますが、このくらいは合格点でしょう。

三日三晩、四者四様

 土曜日の夜にフィールドから帰って以来、多忙のため更新できませんでした。今回行って来たのは、ニルファマリ、ディナジプル、パルバティプル、サイドゥプルというバングラデシュ最北西部の中小都市です。ネパールやブータンからも数十キロしか離れていないというところでした。ダッカからビーマン・バングラデシュ航空でサイドゥプルまで飛び、あとは車で各都市を廻りました。

 宿泊したのはディナジプルにあるホテルでしたが、ホテルで食べる時も、別の場所でも、今回のフィールド滞在中の食事は、三日三晩カレーでした。カレー味のチキン、カレー味の魚、カレー味の野菜など、おかずはいつもどこでも朝昼晩同じでした。そのおかずに、朝はチャパティ、昼と夜はライスがつきました。

 行く先々で、バングラデシュ人のホスピタリティを感じさせられたフィールド訪問でもありました。サイドゥプル空港に着き、タラップを降りた途端、最初に訪れる予定のニルファマリの市長さんが花束で出迎えてくれたことには驚きました。ディナジプルの市役所を訪問した際も、花吹雪で迎えられてしまいました。パルバティプルの市長さんには、自宅に招かれました。土曜日にサイドゥプル空港を発つ際は、サイドゥプルの市長さんとニルファマリの市長さんが見送りに来てくれました。この市長さんたち、気さくで話し好きな人、無口で誠実そうな人、いつも穏やかに微笑んでいる人、むっつりと恐い感じの人など、四者四様でしたが、ただひとつ共通していたのは、やはり皆さんどことなく貫禄を感じさせる何かがあるということでした。きっとああいうのを、存在感というんでしょうね。

フィールドへ

 今日これから、2泊3日でフィールドへ出かけます。バングラデシュ北西部、インド国境に近い中小の都市を訪れて、進行中のプロジェクトの現場を見てきます。具体的には、ディナジプル、サイドゥプル、ニルファマリ、パルバティプルという街に行く予定です。

 バングラでのフィールド・トリップでは、乗っていたフェリーがガンジス川のど真ん中で座礁したり、「リキシャ」と呼ばれる人力車に轢かれたりと、過去に何回かアクシデントに見舞われたことがあります。今回は何もないといいんですが。それでは行ってきます。

侍の水

 バングラデシュのような途上国に来ると、水道の水は危ないので、当然いつもボトル入りミネラル・ウォーターを飲んでいます。このミネラル・ウォーター、輸入物から地元産まで、ダッカでは実に様々な種類のものが手に入ります。一番高額なのが、ご存知フランスの「エビアン」です。僕はホテルでの食事の際には、大抵オーストラリアの「リントン・パーク」というヤツを飲んでいます。別にブリスベンに住んでいるから、オーストラリアの水を飲むわけではありません。ブリスベンに住み始める何年も前から、この「リントン・パーク」を、ダッカに来たびに飲んでいるのです。その理由は、「エビアン」ほど高くなく、地元産の物より品質が信頼できるからです。でも、この「リントン・パーク」は、不思議にもオーストラリアでは未だに一度も見たことがありません。

 ダッカでも、ホテル以外で食事をしたり、あるいは、ダッカを離れて地方に行く時は、輸入物のミネラル・ウォーターが手に入らない場合が多いので、ほとんど地元産のミネラル・ウォーターかジュースを飲みます。「地元産のミネラル・ウォーターは、品質管理がいいかげんなため、飲まない方がいい」という話をよく聞きますが、20回以上もバングラデシュに来ていて、今まで重い病気になったことは一度もありません。衛生状態がバングラデシュよりいい、と言われているパキスタンでは、ほぼ行くたびに病気になるので、僕はバングラとの相性がいいんでしょうね。さて、その地元産のミネラル・ウォーターに、「SAMURAI(侍)」という名前のものがあります。ラベルを見ると、「日本のテクノロジーを使って濾過した地下水だ」と書いてあります。別に、日本のテクノロジーを信じていないわけではありませんが、ホテルでは、僕はやっぱり「侍」より「リントン・パーク」を飲むことにしています。

朝痒い、浅香唯

 ワシントンから来ている同僚のジョナサンは、「バングラデシュに着いて二日目の朝に、耳が痒くなった」と言います。彼も、もう何度もバングラデシュに来ていますが、ここに来ると、いつも決まって二日目の朝に耳が痒くなるのだそうです。彼が言うには、「おそらく原因は電話の受話器だろう」ということです。ホテルの電話の受話器に何らかの菌が付着していて、受話器を耳にあてる事で、その菌が彼の耳に移るのではないかというのです。でも、この「到着後二日目の朝に、耳が痒くなる怪」の本当の原因は分かっていません。

 僕はと言えば、バングラデシュで耳が痒くなったことは、まだありません。でも、いつも目が痒くなります。ここに来ると「アレルギー性鼻炎」がひどくなるのです。目の痒みの他に、くしゃみ、鼻水、鼻づまりなど、典型的なアレルギーの症状が出ます。ホテルの部屋のクーラーをオンにすると、このアレルギーがひどくなるので、クーラーのダクトや部屋にあ驕uハウス・ダスト」が原因だということは、ほぼ確実でしょう。ジョナサンは耳、僕は目、いずれにしても、バングラデシュの二日目の朝は、痒いんです。むかし、浅香唯さんのファンでした。

ダッカで聞いた津軽三味線

 ダッカに着いた日の夜、宿泊しているソナルガオン・ホテルのボール・ルームの方から、三味線の音色が聞こえてきました。そちらに行ってみると、何と「Tsugaru Shamisen Concert(津軽三味線コンサート)by Shuichiro & Daichi」と書いてありました。しばらく会場のすみに立って聞いていました。

 今年は、日本とバングラデシュが国交を結んでから、ちょうど30年目なんだそうです。それを記念して、今週は「ジャパン・ウィーク」と称して盆栽の展示や日本映画の上映など、いろいろな日本に関するイベントがダッカで行われるそうです。この津軽三味線コンサートは、その「ジャパン・ウィーク」の出し物のひとつというわけです。この「ジャパン・ウィーク」を主催しているのが、ダッカの日本大使館のようです。大使館ってこういうこともするんですね。今、様々な批判が集中している日本の外務省ですが、こういうイベント開催も賛否が分かれることでしょうね。ところで、誰か津軽三味線の奏者「Shuichiro & Daichi」って知ってますか?

Welcome Back!

ダッカを走るリキシャ バングラデシュの首都ダッカに着きました。やはり暑いです。ダッカ空港での入国審査では、並び始めた時は前から3番目と絶好の位置につけていたのですが、通過するまでに30分近くかかってしまいました。理由は三つ。ひとつは入国審査官の効率の悪さ。これはまあ、仕方がありません。次に、後ろからの割り込み。一列に並んでいたはずが、後ろから来る人たちがその列を尊重せずにどんどん前に押し寄せて来たのです。すぐに最初の列は消滅し、ただの人の固まりがゴチャッとできてしまいました。そういう訳で、3番目のはずが、自分が入国審査を受けたのは結局8番目くらいでした。最後の理由は、ビザを持たずに空港に着いた人たちが、この入国審査の場でビザの発給を口頭で要請し、さらにはビザの有効期間を交渉していたためです。バングラデシュにはもう何度も来ていますが、こんなに待たされた入国審査は初めてでした。まあ、これに似たようなことは、他の途上国でも経験していますが。

 税関もいいかげんで、申告するものは最初からなかったのでどうでも良かったんだけど、結局税関申告書を回収する係官がいなくて、フリー・パスでした。自分にしてみれば、いちいち何かを尋ねられたり、最悪の場合はスーツケースを開けられて荷物をチェックされたりするより、フリー・パスの方が助かります。でもこの国のことを思うと、もう少しきちんとしてほしいような気がしました。

 その税関を抜けると、宿泊するソナルガオン・ホテルの見慣れたスタッフが待機していて、僕の顔を見るなり、「Welcome Back(お帰りなさい)!!」と声を掛けてくれました。ホテルに着いてからも、懐かしいフロントのお姉さんや、宿泊客担当のマネージャー、靴磨きの若者まで、みんなが僕を覚えていて「Welcome Back」と言ってくれました。ほぼ1年ぶりのダッカですが、やはり懐かしいですね。バングラデシュには、1997年から去年ブリスベンに転勤するまでの間、毎年4~5回は来ていました。一度来ると大体2~3週間は滞在するので、僕のバングラデシュ滞在日数は合計すると優に1年を越えると、いつか誰かに言われました。ということは、今住んでいるブリスベンより、バングラデシュで過ごした日々の方が長いということになります。

 今ダッカは午前3時ですが、夜が開けると仕事がスタートします。まずはバングラ政府とのミーティングの連続ですが、この時差ボケによる睡魔との戦いになりそうです。

イルカンジ・クラゲ

 年末のこちらの新聞に、クイーンズランド州北部の熱帯地域ケアンズ周辺の海で、「イルカンジ・クラゲ」という毒を持ったクラゲに数十人が刺されたため、遊泳禁止になったという記事が出ていました。さらに、数日前の新聞によると、遂にこのクラゲによる死者が出たそうです。亡くなったのは、イギリス人観光客でした。

 この「イルカンジ・クラゲ」は、親指の爪ほどのとても小さいクラゲらしいんですが、人を殺してしまうほどの威力を持っているんですね。職場の同僚達も、「この時期は、イルカンジ・クラゲが出るから、ケアンズに行っても泳がない方がいい」と、口を揃えます。あの辺りでは、4月くらいまでは泳がない方がいいそうです。唯一の防御策は、全身をスッポリ包むウェット・スーツを着ることだと言われています。サンシャイン・コーストやゴールド・コーストなどブリスベン周辺の海岸では、このクラゲのニュースは聞きませんね。きっと熱帯地方だけにいるクラゲなんでしょう。

 「クイーンズランド州政府は、観光産業を守りたいあまりに、このクラゲの本当の恐ろしさを周知徹底するのを怠っているのではないか」とは、亡くなったイギリス人の遺族によるコメントです。まさか、オーストラリアに観光に来て、クラゲに刺されて死ぬとは誰も思わないだけに、遺族にとっては大変なショックでしょうね。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。