ワシントン通信 3.0~地方公務員から転身した国際公務員のblog -2ページ目

八戸復興の象徴としての朝市


 

 お盆の日曜日に、八戸の館鼻岸壁で開催されている朝市に行ってきました。この朝市は、震災後にしばらく休止していたそうですが、八戸復興の象徴として先月から再開されたのだそうです。八戸の浜に活気が戻り、沢山のいろいろな人たちの努力で、八戸は復興へ向けて動き出しています。ただ、養殖施設が津波被害を受けたため、昆布は値上がりしているようでした。

震災後はじめての帰省


 故郷の八戸に来ています。八戸市内のあちこちで、「がんばろう」とか「元気を」という幟や看板やポスターが数多く見られます。きっと、東北は何処もこういう光景なんでしょうね。実家の近くのショッピング・モールには、「がんばろう八戸 招福の舞楽」と題された八戸三社大祭の山車も展示されていました(↓)


 岩手、宮城、福島の三県ほどではないにしても、八戸市も被災地です。八戸の両親や親戚に改めて震災時の話を聞けば聞くほど、僕が思っていた以上に八戸の被害も大きかったんだなあと思い知らされました。津波の水は、僕の実家から数百メートルしか離れていない隣の町内まで達していたらしいのです。今まで帰って来れなくて、本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 やはり、あの震災があたっため、今年の帰省はいつもの帰省とは全く違う気分です。例年のようなただの夏休みではなく、ふるさと東北のために自分に何ができるのかを再度考える日々となりました。本音を言えば、自分の専門や経験を活かして東北復興の一助になりたい。故郷に来てから、そんな思いが一日一日と強くなっていく今日この頃です。

The Long Road to Recovery~チェルノブイリ事故からの教訓

 もう何年も前に買った「The Long Road to Recovery(復興への長い道のり)」という本を、本棚から探し出して読み返してみました。これは1996年に国連大学出版(United Nations University Press)が発行したもので、世界の産業災害や事故(自然災害に対していわゆる人災)に関する論文集という形をとっています。日本の水俣病やチェルノブイリの原発事故の事例も載っているので、もう一度チェルノブイリのことを復習しておこうと思ったのです。

 そのチェルノブイリの一章は、カナダはアルバータ大学のマープレス(David Marples)教授という方が書いたものでした。章の最後の方に、チェルノブイリ事故からの八つの教訓が載っていたので以下に簡単に紹介します。世界は、そして日本は、果たしてチェルノブイリの教訓を活かしきれていたのでしょうか。

1.放射能の安全に関する国際基準が必要。土壌や水の汚染度と安全も含めた、どのくらいの汚染レベルならどの地域まで避難が必要なのかという、行政側が意思決定を下す手助けとなるようなもの。

2.原発のような施設の近くには、万が一の事故に備えて緊急避難施設の設置や、緊急援助に対応できる人員(救急医療)や設備(移動手段など)の配置があらかじめ必要。

3.原発のような施設にとって、すべての関係機関(国や自治体、地域住民)とのコミュニケーション体制の確立は不可欠。情報は迅速に共有されるべき。

4.放射能は国境を越えるので、近隣諸国との迅速な情報共有も必要。

5.汚染地域では、全ての経済・社会活動を止めるべき。軍や警察を動員してまでも、それを実行する。

6.直ちに避難できない住民のためには、次のような安全対策を徹底する。できるだけ室内に留まる、汚染地域の農作物を食べない、玄関や家の周辺を洗浄する等。

7.放射能の影響を受けたと思われる人々のリストをなるべく早く作成する(原発操業開始前に周辺住民のリストは作っておくべき)。事故後にどこに避難したかも記録する。事故後に汚染地域に入った人のリストも作る。彼らの健康状態を長期的に監視する必要があるから。

8.原発事故に対する国際的な援助システムが必要。国連やIAEAが主導すべきだが、環境団体や科学者といった原発産業から独立した組織も含めるべき。原子力を推進する役割を持つIAEAが、原発の安全管理や事故対策を担うのは逆説的であるから。

震災と青森県知事選~東奥日報への寄稿文

 6月5日に行われる青森県知事選挙は、震災後に東北地方で行われる初めての知事選挙です。その選挙に向けて、「震災と知事選」というテーマで寄稿をしてもらえないかと、ふるさと青森県の地方紙「東奥日報」から頼まれていました。その寄稿文が6月2日に掲載されましたので、掲載文とは別に、原文をここに載せておきたいと思います。字数や文体の関係で、掲載文とは多少ですが異なる部分があります。


危機を機会に変えて(東奥日報 6月2日掲載文原文)

 まずは3月11日の震災にてお亡くなりになられた方々のご冥福を祈り、被災した全ての方々へお見舞いを申し上げたいと思います。私はふるさと青森県八戸市を離れてから約17年、世界銀行という国連の専門機関にて主に途上国の国づくりや街づくりのお手伝いをしています。そういう経験から、震災後の青森県の進むべき方向について述べてみます。

 あらゆる危機には危険と機会がつきものです。例えば私が担当したインド洋大津波後のスリランカ復興は、被災地の大半が紛争地だったことから、紛争当事者同士が協力できる復興の枠組みを構築することにより和平に繋げられないか、というのが国際社会が模索した機会でした。結果としてスリランカはその千載一遇の機会を逃し、紛争の激化へと突き進みました。

 私は今回の東北地方を襲った未曾有の危機の中に、少なくとも二つの大きな機会を見出しています。ひとつは、言うまでもなくエネルギー政策の大転換です。復興に併せて、地域のエネルギーは可能な限りその地域で賄うという日本の新しいエネルギー供給のモデルを青森県が確立することはできないでしょうか。原子力や化石燃料への依存を段階的に減らし、再生可能エネルギーへの投資を増やす。それを地域の新たな雇用創出に結びつけるのです。私は水資源の乏しい途上国の地域などに、地下水、表流水、雨水(時には海水の淡水化や下水処理水も含む)などの最適な組み合わせで水需要を賄うようアドバイスすることがあります。それと同様に、東北は復興に併せて、太陽光や風力、地熱、バイオマスなどのエネルギーの最適な組み合わせを地域、地域で模索するべきではないかと思うのです。青森県がその先導役になってほしい

 もうひとつの機会は、復興に併せて災害や気候変動にいっそう強い地域をつくりあげること。地震や津波対策はもちろんですが、将来の気候変動を視野に入れた地域づくりを目指すべきです。世界ではここ数年、ハリケーンや大規模洪水など、気候変動によるものと思われる過去に例を見ないほどの気候型災害の多発と大規模化を経験しています。世界銀行では、そういった気候変動リスクを考慮した街づくりへの支援も世界中で進めています。これからは、港湾、河川、上下水道、交通、電力、学校や医療施設といった地域経済や生活に不可欠なインフラは、地震、津波、気候変動も含めたあらゆる自然災害や事故災害のリスクを考慮して立地や建築基準を決める必要があるのです。そのための長期的な土地利用や施設計画の見直し、施設整備なども復興と併せて行い、次世代のためにより安全な地域を残していかなければなりません。

 私が世界銀行から出向して働いていた豪州ブリスベン市のスーリー元市長は、よく「50年後のブリスベンでは全家庭にソーラー・パネルと雨水タンクが設置される」と仰っていました。東北の復興も、50年先を見越した計画作りから始める必要があります。上に示した二つの機会の他にも、別の重要な機会があるかもしれません。危機を機会に変えて、どのような地域づくりのビジョンを示せるのか、そのビジョンを実現するためにはどのような政策が必要なのか、その政策遂行の財源はどこに求めるのか、今回の知事選の候補者に求められているのはそこに尽きるような気がします。私は、我がふるさと東北は必ずや復興すると信じて疑いません。青森県には東北復興を牽引するエンジンになってほしい。震災後に求められる新たな地域づくり、その大事なスタートを任せるリーダーを選ぶのが、今回の知事選なのです。

がんばれ日本、がんばれ東北

In Tribute to Support of Japan: the above image by Jaime Olmo


 東北と関東の太平洋岸を襲った未曾有の大災害。まずはこの災害で亡くなった多くの方々のご冥福をお祈りし、被災した方々に心よりお見舞いを申し上げたいと思います。救援活動に従事されている方々、どうか頑張ってください。余震や原発事故も本当に心配ですが、これ以上被害が広がりませんように。

 東北人の僕としては、故郷の大惨事に際して何もできない自分に無力感で一杯です。スリランカの津波復興に長らく携わった自分は、祖国や故郷のために何ができるのか、じっくり考えてみたいと思います。

 最後になりますが、メールやツイッターなどを通して、世界中から沢山の方々に僕の八戸の家族と妻の仙台の家族についてのご心配をいただきました。災害後は数日間連絡が取れない不安な日々もありましたが、既に家族の無事は確認されています。情報をいただいたり、心配してくださった方々、本当にありがとうございました。

雪に脆弱なワシントンより

 雪が多かった昨シーズンに比べて、この冬は雪が少ないなあと思っていたら、ついに降りました。昨日の夕方から降り始めて、今朝までに20センチくらい積もったでしょうか。毎年のことですが、雪が降るとワシントンは大混乱。これしきの雪で交通機能が麻痺し、停電する地域が続発し、ほとんどの学校は休校になります。昨夜から、テレビや新聞もそういうニュースばかりです。いいかげん、もっと雪に強い街づくりを考えたら良さそうなものなのに、そういう気配は一向にありません。



 それはそうと、今日、雪景色の近所を歩いていたら、枝に積もった雪の重さで倒れた木を発見しました。しかも二件(↑)。木が直撃した路上駐車の車の持ち主には、お気の毒としか言いようがありません。

2011年の明確な目標

 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。ワシントンはとても暖かいお正月を迎えました。例によって、御節料理も御屠蘇も初詣もない、全く正月気分のない正月です。ただ年が変わると気分が変わるというか、いや、より正確には、こういう機会に心機一転しておかないと色んな意味で惰性に流されてしまうというか。だから、少し強引に気分一新を心がけるとします。今年は人事異動も控えているので、僕にとっては変化の年。変化の波にうまく乗れますように。


 さて、去年のお正月に立てた目標は、「年間500kmを走り、体脂肪率を10%以下にして、腹を六つに割る 」というものでした。結果はというと、去年一年間のランニング記録(↑)を見てください。走行回数は107回で、全走行距離は693.79kmと、距離だけは目標を達成しました。しかしながら、現在の体脂肪率は13~14%と去年のこの時期に比べて1%くらい増え、体重も2kg弱増えて70kg前後です。腹もまだ割れてません。走行記録を見ると、休暇中の8月と膝を痛めた12月を除けばコンスタントに走っています。あんなに走ったのに体脂肪も体重も増えるなんて、かなり落ち込みますよ。

 ということで、今年はもう目標を立てるのはやめようかと思いましたが、もう一年頑張ってみることにします。「明確な目標と強い意志が必要」なんていつも若い人に言っておきながら、自ら有言実行しないといけませんよね。700km近く走ってダメなら、千km走ればいいじゃないか。今年は千km走破を目指します。果たして目標達成できますかどうか。今年も目標を公言することで、自分にプレッシャーをかけたいと思います。

カンクンの浜汁



 カンクンで食べたもののうち、文句なしに一番おいしかったのがコレ(↓)。ロブスターや蟹などカンクンで獲れた海の幸がたっぷり入った浜汁です。ボリューム満点で、これ一杯で満腹になります。この浜汁を食べられるのは、「K’s CAFE 」という和食屋さん。今回泊まっていたホテルの周りを散歩していて、たまたま見つけました。


  「K’s CAFE」 は、1月3日までは朝も7時半から営業していて朝食も食べられますよ。僕は、浜汁と納豆ご飯という大満足の朝食をいただきました。ワシントンでも、こんな朝食はお目にかかれません。カンクンで食べられるなんて思ってもいませんでした。ラッキー。カンクンでメキシコ料理に飽きたら、是非「K’s CAFE」へ。

メキシコはミル・マスカラスの故郷だった


 カンクンの街を歩いていると、こんな覆面(↑)を売っている店によく出くわしました。こういう覆面、どこかで見覚えがあるなあと思ったら、昔懐かしい覆面プロレスラーで「千の顔を持つ男」と呼ばれたミル・マスカラスの覆面にソックリじゃないですか。そういえば、ミル・マスカラスはメキシコ出身だったはず。きっと彼はメキシコでは英雄なんでしょう。あの名曲「Sky High」に乗って颯爽と登場するミル・マスカラスが目に浮かんできます。カッコよかったなぁ。彼は今どうしているんでしょうか。

カンクンのトイレ表示いろいろ

 外国に行くと、いつもトイレが気になるのです。特にトイレの男女別を表示するサインというか、ピクトグラムというか、例のやつ。メキシコのカンクンにもありましたよ、なかなか変わったトイレ表示が(↓)


 でもやっぱり、こういう民族衣装を意識した表示の方が僕は好きだなあ(↓)。男性がかぶっている帽子はソンブレロでしょうね。


 で、極めつけはコレ(↓)。カンクンのフェリー乗り場で見つけました。面白いけど、これはちょっと道徳上マズイですよね。メキシコ流のジョークなのでしょうか。



※ 過去の関連記事
 1. 「ブータンのトイレの顔
 2. 「アラブ式男子トイレと女子トイレ