ワシントン通信 3.0~地方公務員から転身した国際公務員のblog -3ページ目

カンクン沖カリブ海の青い珊瑚礁

 去年のクリスマス休暇でメキシコのカンクンに行き、とても満足したので今年も行って来ました。既にワシントンに戻っていますが、今年はカンクンのホテルでインターネットがほとんど使えず、これから一気にカンクン通信を更新します。今年のカンクンは、去年の同じ時期に比べてかなり涼しかったです(最高気温は25℃に達しない日が多かった)。風も強くて、ちょっと天候には恵まれませんでした。それでもカンクンの海は美しい。この海を見ているだけでも心が洗われます。






 今年はちょっと足を伸ばして、カンクン沖のイスラ・ムヘレス(ムヘレス島)まで行って来ました(↓)。カンクンからフェリーで30分くらいで着きます。



 カンクン沖カリブ海のこの辺りからホンジュラスまで続く珊瑚礁は、オーストラリアのグレート・バリア・リーフに次いで世界で2番目に大きい珊瑚礁地帯なんだそうです。スノーケリングをして海亀や大きなエイにも出会えましたが、防水デジカメを持っていないので写真を撮れなかったのが残念です。去年も思いましたが、今度こそ防水デジカメを買って持って行こうと思います。おススメの防水デジカメがあれば、ぜひ教えてください。

Merry Christmas と Happy Holidays


 ワシントンからメリー・クリスマス。と言ってみたものの、アメリカでは何年か前から、「メリー・クリスマス」というこの時季の挨拶をあまり聞かなくなりました。「クリスマスはキリスト教の行事であり、アメリカ人はキリスト教徒ばかりではない」という所謂ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の風潮なのです。宗教に無頓着な日本人は、クリスマスは既に宗教的意味を越えているのかと思いがちですが、こちらでは気にする人は気にするもんなのでしょう。もしかしたら、政治の街ワシントンの人たちが気にしすぎていて、アメリカでも他の地域では平気でメリー・クリスマスと言い合っているのかもしれませんが。で、この時季の挨拶として政治的に正しいのは、「Happy Holidays!」とされています。

 ですから、クリスマス・シーズンがホリデー・シーズンになり、クリスマス・ショッピングがホリデー・ショッピングになり、クリスマス・カードがホリデー・カードになり、クリスマス・ツリーがホリデー・ツリーなる。まあ、使われる頻度の差こそあれ、そういう傾向なのです。ということで、改めてハッピー・ホリデーズ。年末年始のよい休暇をお過ごしください。

ナショナル・ハーバーの氷の国



 ワシントンのナショナル・ハーバー にある、「ICE! 」という氷のテーマパークに行って来ました。氷の彫刻や氷の滑り台、スケート・リンクなどがあって、お子さんのいる方にはおススメです。期間限定で1月9日まで。パビリオンの中は華氏9度(摂氏でマイナス13度くらい)に保たれているのでとても寒いですが、入館前に厚手のオーバーコートを貸してくれます(右下の写真で皆が着ている青いヤツ)。ナショナル・ハーバーには結構お洒落なお店も多いので、また行ってみよう。


シンガポールのマリーナベイ・サンズ

 2010年に訪れた世界中の建築物のうちで、僕が最も凄いと思ったのがシンガポールに今年オープンした「Marina Bay Sands(マリーナベイ・サンズ) 」です(↓)。ホテルやカジノ、ショッピング・モール、コンベンション・センターなどを含んだ複合リゾート施設ですが、まず斬新なのはそのデザイン。三つのビルの上に舟が載っているようなデザインなのです。建物自体が大きすぎて、近くからは全体像をカメラに収められなかったのが残念ですが。



 話題の屋上スカイ・パーク(↓)にも行ってみましたが、素晴らしいですね。こんな所に一度でもいいから泊まってみたいもんです。




 このマリーナベイ・サンズの屋上から周辺を眺めたら、巨大なプロジェクトがいくつも進行中でした(↓)。シンガポール、恐るべし。



Good-bye My Sri Lanka

 僕にとって2010年は、ひとつの区切りの年となりました。来年の人事異動を控え、世銀に入ってから僕が一番深く長く関わったスリランカの担当を降りることになったからです。10月のスリランカ出張が、最後のスリランカ訪問となりました。最後だと思うと、やはり寂しいですね。改めて、自分はスリランカが好きだったんだなと思い知らされました。いや、好きというのとはちょっと違う。特別な思い入れのある国なのです。2002年の後半から関わり始め、2007年から2年間は赴任していた国。振り返ると、いい事も悪い事も、本当にいろんな事がありました。紛争、停戦、津波、紛争激化、そして軍事力による紛争終結と、僕がスリランカに関わった時代は、正にあの国の激動の時代だったのです。


 仕事では、微力ながら世銀の津波復興の責任者になり、約5万軒の住宅再建に貢献しました。また、水道のない農村部への水道普及も担当し、約800の村々に新たな水道を整備することができました。当然ながら、これらは僕一人の力ではなく、カウンターパートであるスリランカ政府や自治体、パートナーであるNGOや、何よりも被災者や住民自らの努力によるところが大きいことは言うまでもありません。そして世銀の同僚たちにも、随分と助けられました。でも何故か今は、「あの時あの仕事は、ああすればよかったなあ、こうすればよかったなあ」と後悔の念ばかりが頭に浮かんで来ます。



 これからも、スリランカのことはずうっと気になるでしょうね。できれば、いつかまた戻りたい。あの美しい島国が、恒久平和と民族融和を成し遂げ、明るい未来を迎えることを願わずにいられません。今はただ、スリランカで出会った全ての人々に感謝の気持ちで一杯です。スリランカよ、さようなら。また会う日まで。

岩倉具視と夏目漱石と慶長寿彰に共通すること

 今年でスリランカの担当を降りることになり、もう当分スリランカへ行くことはないのかなあと思うと、無性にスリランカのカレーが食べたくなります。スリランカのカレーは、食べる前はワクワクするのに、食べた後は口の中が燃えるので、しばしば後悔することもありますが。10月に訪れた時は、最後かと思って結構カレーを食べたっけ(↓)。ちなみにスリランカでは、ご飯にかけたカレーのことを、カレーライスではなく「ライス&カレー」と呼びます。


 そんなスリランカのカレーを最初に食べた日本人は、誰だと思いますか。こちらのサイト によれば、1873年(明治6年)に岩倉具視が率いた日本の欧州使節団が、スリランカのゴールに立ち寄りカレーを食べたとありますね。さらには、1900年(明治33年)には夏目漱石がイギリスに向かう途中にコロンボでカレーを食べたとも。日本人第一号は誰か知りませんが、少なくとも百何十年か前に、スリランカでカレーを食べた日本人がいたという記録なのですね。岩倉具視と夏目漱石と慶長寿彰に共通するのは、「スリランカで本場のカレーを食べた事がある」ということです。スリランカのカレーを食べた回数だけは、僕の方が岩倉具視や夏目漱石に勝っているに違いないでしょう。

iPadでメニューを表示した世界最初のレストラン

 2010年は、歴史上iPadが誕生した年として長く語り継がれるかもしれません。僕自身、6月にiPadを手にして以来、その魅力にはまっています。そんなiPadでメニューを表示する世界のレストランのニュースを、ネット上でいくつか見つけました。ひとつはアトランタにあるBone’s Restaurant で、主にワイン・リストをiPadに登載しているようです。もうひとつはシドニーのGlobal Mundo Tapas で、ここではiPadから料理の注文もできるようです。

 でも、このiPadメニューを世界で最初に導入したレストランがスリランカにあるという事実をご存知の方は少ないでしょうね。そのレストランとは、僕も何度も通ったことがあるコロンボのNIHONBASHI(日本ばし) なのです。「日本ばし」では、アメリカでiPadが発売されてから約一週間後には、もうiPadメニューが登場したそうです。



 僕も10月にスリランカを訪れた際に何度か「日本ばし」に行き、このiPadメニューを使いました(↑)。お店の壁には、「世界最初のiPadメニュー」を紹介したシンガポールの新聞の切り抜きが貼ってありましたっけ。iPadメニューの特長は、何と言っても料理の写真を見られること。そして、それを自由に拡大したり縮小したりもできます。ただし、iPadを使い慣れていないと、最初は少し戸惑うかもしれませんけど。もし、あなたの街にもiPadでメニューを表示しているレストランがあれば、ぜひ教えてくださいな。

バンコックのHOPE

 気がつけば今年もあと10日あまり。今年中に書き終えたいブログ記事がたまっているので、今日から数日間は毎日更新を目指します。まずは、タイのバンコックについて。


 今年も何度かバンコックを訪れました。バンコックでは、今年はじめに元首相タクシン派(通称「赤シャツ隊」)による騒乱がありましたよね。多数の死者も出しました。その騒乱の最後に破壊されたのが、僕も何度も通ったことがある「セントラル・ワールド」というショッピング・モールです。今年6月に訪れた時はまだ閉鎖中で、一番被害の大きかった一角(ZENというデパートがあった所)はこんな様子でした(↓)


 再度11月に訪れた時は、ZENの一角を除いて「セントラル・ワールド」は営業していました。復活を誇示するべく、あちこちに「NOW OPEN」という標示があったのです。


 ZENの入っていた一角はまだ工事中でしたが、その工事を隠すかのように、巨大なクリスマス・ツリーの建設が進んでいました(↓)。今ならきっと、綺麗な飾りつけも終わり、イルミネーションが灯っているんじゃないでしょうか。


 その「セントラル・ワールド」の外側をグルリと一周歩いてみて、僕が一番印象的だったのは、工事中の部分を覆うフェンスに描かれた様々なメッセージでした(↓)。「怒りは何も解決しない」、「希望を持ち続けよう」、怒りより希望を。本当に、世界を希望で満たしたい。



日米リーダーシップ・プログラムの参加者募集

 もう数週間も前ですが、ブータンからの帰りに東京に立ち寄った際、赤坂のアメリカ大使公邸で行われた日米リーダーシップ・プログラム の忘年会に運良く参加できたのです。米日財団が主催する「日米リーダーシップ・プログラム」は、日米の各界の若手リーダー達の間に、友情と理解のネットワークを築き上げることを目的に2000年に始まりました。プログラムの内容は、日米両国の次世代のリーダー約20名ずつが一週間合宿をし、日米問題や地球規模の問題を議論するというものです。政治、行政、ビジネス、宗教、アカデミア、芸術、スポーツなど様々な分野の参加者がいるのが特長と言えるでしょう。僕は2001年の神戸・京都会議と2004年のシアトル会議に参加しています。

 ところで現在、
来年7月に開催されるこの「日米リーダーシップ・プログラム」への2011年会議への参加者を募集しています。参加資格は28歳から42歳までで、応募締切は来年1月14日です。詳しくは、こちらから応募要領をご覧ください 。参考までに、過去に日本側からはこんな人たち が参加しています。


 さて、アメリカ大使公邸で行われた忘年会ですが、有名なゲストの方々も数多くいらっしゃっていました。僕は幸運にもルース駐日大使と名刺交換をさせていただき、さらに写真撮影までも。懐かしい仲間や新しいリーダー達にも会えて、とても素敵な東京の夜となったのです。ルース大使の名刺には、ツイッターのアカウント名 も印刷されていましたよ。僕も今度、八戸大使の名刺にツイッターのアカウントを載せてもらおう。

羽田空港の新国際線ターミナル


 ブータン出張からの帰りに、バンコックから羽田に飛びました。オープンしたばかりの羽田空港国際線ターミナルを見てみたかったこともありますが、都心のホテルに泊まるなら、羽田の方が断然近いですから。ということで、話題の羽田空港・新国際線ターミナルを少し探検してみました(↓)





 江戸情緒たっぷりの江戸小路。でも、思ったより狭かったですね。ピーク時には混雑しそう。まだ、羽田発着の国際線の便数には限りがあるようですが、今後は拡張もあるんでしょうか。是非、いつかワシントンからも羽田に飛んで欲しいです。ともあれ、これからは羽田を利用できるときは、成田よりも羽田を利用したいと思います。